つばさをなくした天使2



「まあシャミル! よかったわね。」
「うん。これでナタブさんをおぶって池の中に入れてあげられるよ。ナタブさんの病気が治ったら、ぼくもベタニアにいくよ」
「ナタブさんが、早く治るように祈っているわ」
アリサは、シャミルのほおに軽くキスをすると去って行きました。
シャミルは、ほおを押さえてうっとりした目でアリサの後ろ姿をいつまでも追っていました。

「やーい、シャミル。あの女の子が好きなんだろう」
 エルはシャミルの肩をつついてからかいました。
「そうさ。だからぼくは人間になってよかったと思ってるんだ」
「変なシャミル。人間になって喜んでいるなんて……。ぼくは、絶対に人間になんかなりたくないな」
その日もエルは一日中スティックを探しました。池の向こうや茂みの中ものぞいていましたが、スティックは見つかりません。とうとう、日が暮れてしまいました。 「もし、明日も見つからなかったら……ずうっと見つからなかったらどうしよう」
エルは心配でたまらなくなってきました。
翌朝早く、鳥の声でエルは目をさましました。ミルク色の霧が池の上にたちこめています。

** 5消えたつばさ

  冷たい風がふいて霧が流れてくると、晴れ間からキラッと銀色に光る物が見えました。
天使のスティックです。カミルたちが池をかきまぜに降りてきたのです。
5人の天使は、いつもかきまぜる前にするように輪になって池の上で踊っています。
「大変だ、水がかき回されてしまう!」

思わずエルが叫ぶと、となりで寝ていたシャミルが飛び起きました。
「何だって! 天使たちがきているのかい?」
「そうだよ。どうしよう。」
「エル、お願いがあるんだ。ナタブさんをぼくの背中に背負わせてくれ。天使が池をかきまぜる前に池に入れるんだ。ナタブさんを池に入れたら、エルに渡したい物がある」

シャミルは、エルの服を引っ張りました。エルはその手をふりはらって、
「そんなことより、『かきまぜないで!』ってカミルにいわなくちゃ」
と、飛び上がりました。

「エル、待ってくれ。ぼくの話を聞いて!」 シャミルが叫びましたが、エルの耳には入 りません。エルは天使たちのところへ飛んでいきました。

「お願い、今日はかきまぜないで。ぼくのスティックがまだみつからないんだ。明日までにはきっとみつけるから……」
「今は、水の動く時、この時は一秒も遅らせることができない」
カミルがいうと、天使たちは輪になったまま、ゆっくりと下に降りてきました。
「ああっ、水がかき回されてしまう!」

エルはあせって池の上をあっちへ飛んだり、こっちへ飛んだりしました。
ふと、下を見るとシャミルがひとりでナタブさんを必死に池の方へ引きずっています。池まであと数センチのところにきたとき、天使たちが水をかきまぜ始めました。

「エル、こっちにきて手伝って、早く!」
シャミルが叫びましたが、エルは、自分のことで頭がいっぱいでそれどころではありません。
シャミルの声に池のそばで寝ていた病人達が気づき、ひとりの男が池に飛び込んでしまいました。
「あーあ……。」
ナタブさんが、深いため息をつきました。
そのとき、エルはまっ逆さまに池に落ちてしまいました。つばさが消えてしまったのです。

  幸い水はエルの肩のあたりまでしかありません。ずぶぬれになったエルは、ぼんやりと池の中に立ちつくしていました。 天使たちは、天に帰ってしまいました。


** 6町へ行ったエル

  「エル、エル」
エルは、シャミルの呼び声で、はっとわれに返りました。
「ぼくのつばさ、なくなっちゃった。もう、天に帰れない……」

よろよろと岸から上がると、シャミルがエルの前にひざまずいて深く頭を下げています。
「すまない、エル。」
シャミルの手には、エルの銀色のスティックがにぎられていました。
「あ、ぼくのスティック!」
「ごめん。おととい、これがぼくの目の前に落ちてきたんだ。何気なくつえのようにして歩いたら、スタスタ歩けたんだ。足に当ててみたら、痛みも消えたんだ。だから、スティックを悪い方の足にしばりつけて服の下に隠していた」
「何だって! ぼくが困っているのを知ってたくせに」
エルは大声でいいました。

「ごめんよ。ぼくがちゃんと歩ければ、ナタブさんを池の中に入れてあげられると思ったんだ。池に入れたらすぐに返すつもりだったんだよ。さっき、君が手伝いにきてくれたら間に合ったのに……」
「どうしてスティックを持っていることいわなかったんだよ。いえば手伝ったのに」
「ごめん、本当に悪かった。もし、いったら君がすぐスティックを持って天に帰ってしまうと思ったから……」

シャミルは足を引きずりながらエルに近づくと、スティックを差し出しました。
「いらないよ。今ごろ返してもらって、遅いよ。シャミルとはもう絶交だ」
エルは、真っ赤になって怒ると、走り出しました。池の向こうはエルサレムの町です。

「町へいってみよう。ぼくの姿は人間には見えないんだ。思いっきりいたずらしてやろう」
町のにぎやかなところにいくと、商人たちが色々な物を売っていました。パンや果物や魚、かごに入った鳩も売っています。

エルは、はとのかごのふたを次々と開けていきました。鳩がいっせいに飛び出しました。
「うわーっ! なんてこった。鳩がみんな逃げちまった」
商人たちは大あわてです。
「だれか、つかまえてくれ」
「つかまらないと、大損害だ!」
商人たちはやっきなって鳩をつかまえようとしましたが、一羽もつかまらないまま鳩は大空高く飛んでいってしまいました。

「あはは、ゆかい、ゆかい」
エルは、今度は大きな家の庭に入っていきました。庭ではガーデンパーティーが開かれていました。テーブルの上にはごちそうが並べられ、人々が楽しそうに飲んだり食べたりしています。
エルは、色々な食べ物を一口ずつつまみ食いしていきました。
男の人が、持っていた魚をかぶりつこうとした時、エルはさっと取り上げて、パクッと食べてしまいました。男の人は、指をかんで大声を上げました。

あはははは、ゆかい、ゆかい
だれにも見えないって楽しいな
何でもできるよ、ルルルルル
何をしてもしかられない
ぼくは いたずら天使エルだよ

エルはでたらめな歌をうたって、庭中スキップしてまわりました。
小さな雨蛙が一匹、エルの足元にとびはねてきました。エルは、その雨蛙の足をつかむと、女の人の飲もうとしているスープの中に入れました。
「キャーッ!」
女の人は、悲鳴を上げてスープ皿を落としてしまいました。
最後にエルは、テーブルクロスを引っ張って、ごちそうを全部ひっくり返しました。パーティーはめちゃめちゃです。

「あはははは、ゆかい、ゆかい」

エルは、毎日町のあちこちでいたずらして歩きました。
エルはとなりの町のベタニアにもいってみました。向こうから女の人が水がめを頭の上にのせて歩いてきました。
エルは走っていって女の人の足元に、木の枝をさっと伸ばしました。女の人はつまずいてころび、水がめは落ちてふたつに割れてしまいました。

「ああ、どうしよう……。たったひとつの水がめだったのに……困ったわ」
女の人は、泣きそうな顔をしてかけらをひろいました。
エルの心はちくりと痛みました。でも、次の日にはすっかり忘れて、もっとおもしろいいたずらはないかと、目をキラキラ光らせてあちこちで悪さをしました。

夜になるとエルは星空を見上げてため息をつきました。
「あーあ、天に帰りたい。カミルたちは今ごろ何してるのかな……。もう、天の庭で遊べないのかな……」
エルの目から涙がこぼれ落ちました。
「ああ、こんなことになったのは、みんなシャミルが悪いんだ。あの時、シャミルがスティックをかくさなければ、ぼくはとっくに天にもどっていたのに……」

エルは地面にシャミルの似顔絵を描いて、それをかかとで思い切り踏みつけました。
「うわっ!」
エルは、かかとがジーンとしびれてとび上がりました。

「いたーい! なぜ?」
今まで痛みを感じたことなどなかったのです。エルは自分の腕をつねってみました。
「やっぱり痛い。天使は痛みなんか感じないはずなのに……。ぼくは人間になっっちゃたのかも……いやだよう」

エルは真っ青になりました。シャミルは地上で半年間暮らしているうちに人間になったのです。エルがスティックをなくしてから5か月もたっていました。
前は、疲れたこともなく、夜寝なくても平気だったのに、このごろ疲れてよく眠るようになっていました。
エルは、悲しみのあまり、胸がはりさけそうでした。


** 7イエスさまのうわさ

  エルのすぐそばを男の人と少年が仲良く話しながら通りかかりました。少年は足を引きずっています。
「今日はすっかり遅くなったなあ。疲れたろう」
男の人が言いました。
「ぼくは平気さ。お父さんこそ大丈夫?」
少年の声に聞き覚えがあります。エルは耳をすましました。

「ああ。あれからずっと調子がいいからな」
「イエスさまの話、すばらしかったね。アリサにも話してきかせなくちゃ」
少年は、シャミルでした。

(シャミルのやつ、何で足を引きずっているんだ? スティックは使ってないのかなあ。シャミルがお父さんと呼んでいるのは、ナタブさんみたいだ……。きっと池に入って、良くなったんだな)
「シャミル、明日アリサを家に呼びなさい」
「わーい! ありがとう、お父さん」
シャミルは、夢中になって話しているので、エルのことには気づいていません。

ふたりは本当の親子のように肩をたたき合いながら、家に入っていきました。エルは、家のかべによりかかって眠りました。
翌日、アリサがシャミルの家にやってきました。エルは、窓をのぞいて耳をすましました。
「昨日、お父さんとヨルダン川の近くまでいって、イエスさまの話を聞いてきたんだよ」
「イエスさまのおっしゃったこと、みんな聞かせて」
アリサが、目をキラキラさせています。
「小さい子どもたちが、イエスさまのところに近づいていったんだ。お弟子さんは、子どもたちを追い返そうとした んだよ。その時、イエスさまは言われたんだ。『子どもたちをわたしのもとに来させなさい。止めてはいけません。天国はこのような者たちのものです。』って」

「イエスさまは、小さな子どもたちも大事にされるのね。すばらしい方だわ」
「そうさ。イエスさまはすばらしい。まことの救い主だ」
ナタブさんが、立ち上がってイエスさまをほめたたえました。
「わしは、三十八年間も病気で立ち上がることもできなかった。ベテスダの池のほとりにいても、どうせいちばんには入れやしないんだと、少しやけになっていた。でも、あわれみ深いイエスさまがわしの病気を治して下さったんだ」

「イエスさまは、本当の救い主だわ」
「ハレルヤ、イエスさま!」
シャミルが両手を上げて叫びました。 シャミルとアリサは手をつないで、踊りながらナタブさんのまわりを回りました。

楽しそうなようすを見て、エルはちょっぴりうらやましくなりました。
 (そうだ。イエスさまにお願いしよう。イエスさまなら、ぼくに羽をつけて、天に帰れるようにして下さる。イエスさまは、ヨルダン川の近くにおられるんだな。よし、会いに行こう)




*************************つづく



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